最高裁判所第三小法廷 昭和44年(オ)204号 判決 1970年7月28日
上告人
横浜ゴム株式会社
代理人
馬塲東作
福井忠孝
被上告人
渡辺一訓
代理人
池谷利雄
岡崎一夫
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人馬塲東作、同福井忠孝の上告理由について。
原判決(その引用する第一審判決を含む。以下同じ。)によれば、上告会社は、被上告人が上告会社の従業員賞罰規則一六条八号にいう「不正不義の行為を犯し、会社の体面を著しく汚した者」に該当することを理由として、同人を懲戒解雇にしたというのである。そこで、原審が認定した事実関係のもとにおいて、被上告人が右懲戒解雇の事由に該当するかどうかについて按ずるに、被上告人がその責任を問われた事由は、被上告人が昭和四〇年八月一日午後一一時二〇分頃他人の居宅に故なく入り込み、これがため住居侵入罪として処罰されるにいたつたことにあるが、右犯行の時刻その他原判示の態様によれば、それは、恥ずべき性質の事柄であつて、当時上告会社において、企業運営の刷新を図るため、従業員に対し、職場諸規則の厳守、信賞必罰の趣旨を強調していた際であるにもかかわらず、かような犯行が行なわれ、被上告人の逮捕の事実が数日を出ないうちに噂となつて広まつたことをあわせ考えると、上告会社が、被上告人の責任を軽視することができないとして懲戒解雇の措置に出たことに、無理からぬ点がないではない。しかし、翻つて、右賞罰規則の規定の趣旨とするところに照らして考えるに、問題となる被上告人の右行為は、会社の組織、業務等に関係のないいわば私生活の範囲内で行なわれたものであること、被上告人の受けた刑罰が罰金二、五〇〇円の程度に止まつたこと、上告会社における被上告人の職務上の地位も蒸熱作業担当の工員ということで指導的なものでないことなど原判示の諸事情を勘案すれば、被上告人の右行為が、上告会社の体面を著しく汚したとまで評価するのは、当たらないというのほかはない。それゆえ、原判決に所論の違法(所論違憲の主張も、その実質は、単なる法令違反の主張に帰すると認められる。)はなく、論旨は、採用することができない(なお、上告代理人提出の昭和四四年三月一八日付上告理由書補充書は、上告理由書提出期間経過後に提出されたものであるから、右記載の上告理由に対しては説明をしない。)。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官松本正雄の反対意見があるほか、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
裁判官松本正雄の反対意見は、次のとおりである。
一、被上告人が昭和四〇年八月一日午後一一時二〇分頃、他人の居宅に故なく入り込み、これがため住居侵入罪に問われ、罰金二、五〇〇円に処せられたことについては当事者間に争いがなく、原判決(その引用する第一審判決を含む。以下同じ。)によれば、被上告人の右の犯行が、上告会社の賞罰規則一六条八号の「不正不義の行為」に該当すると判示している。そして、その犯行の情況、罪質についても、被上告人(原告)は「被害者方居宅の風呂の扉を排したうえ、屋外に履物を脱ぎ揃え、同所から屋内に忍び入つたが、家人の誰何を受けたため、直ちに屋外に立ち出で、履物も捨てて一散に逃走したものであることが認められるから、さような犯行情況に照すと、原告が酔余、無意識のうちに居宅侵入を犯したものとは認め難い。もつとも、原告が右居宅に侵入するにつき、いかなる目的を有したものか、これを確定する資料はないが、原告の犯行は、その時刻が午後一一時二〇分頃であることに徴しても、原告主張のように極めて軽微な犯行ということはできず、むしろ破廉恥な行為に属するものというべきである。」と認定判断している。このように「不正不義の行為」に該当するが、前記規則一六条八号の「会社の体面を著しく汚した」ものと評価するのは規定の趣旨に照らして妥当ではないと判示して被上告人の請求を認容している。
二、原判決を支持する多数意見も諸般の事情からいつて「上告会社が、被上告人の責任を軽視することができないとして懲戒解雇の措置に出たことに、無理からぬ点がないではない。」としながらも、結局、理由を挙げて被上告人の前記行為が、「上告会社の体面を著しく汚したとまで評価するのは、当たらないというのほかはない。」として、上告論旨を排斥している。
しかし、わたくしは、原判決および多数意見に賛成できない。左にその理由を述べる。
三、(イ) 多数意見は、被上告人の本件行為が「上告会社の体面を著しく汚したとまで評価するのは当たらない」ことの重要な理由として「問題となる被上告人の右行為は、会社の組織、業務等に関係のないいわば私生活の範囲内で行なわれたものであること」を指摘せられるが、わたくしも、「私生活の範囲内で行なわれたものである」場合には、軽軽しく懲戒解雇に関する規定を適用すべきではなく、原判決が述べるように、その規定の適用にあたつては客観的合理的に解釈しなければならないことについては異論はない。むしろ、当然のことであろう。
そして、右規定を適用するにあたつて客観的合理的な解釈をする場合には具体的事案にそくして、私生活の範囲内で行なわれたものであつても、その行為の性質、その行為が犯罪であれば犯罪の性質、事業の性質、事業が当面する情況等を慎重に考慮すべきであつて、それによつて解釈上、異つた結論が出てくることがあるのも、また当然である。
ところで、これを本件についてみると被上告人の犯行は許しがたい破廉恥罪であり、上告会社はタイヤー等のゴム製品を販売する著名会社であつて、会社のイメージからいつても、従業員のモラルは会社の営業に直接、間接に大きな影響があることは否定することができない。したがつて、被上告人の本件犯行の影響の及ぶところは、会社の組織、業務等に関係がないとはいえない。また、原判決によれば、上告会社の当時の情況は「昭和三九年下期以降、経営状態を著しく悪化させ、これがため昭和四〇年初頃から、その経営の成行につき一般から懸念され、世上、平塚製造所閉鎖の風説も飛び、一方、同製造所内で従業員相互間に暴力沙汰が相次いだので、企業運営上、地域住民の企業に対する信頼を保持するためにも、職場規律を確保し、かつ従業員の作業意欲を高揚することを緊要事とし、同製造所その他の各事業場において従業員に対し職場諸規則の厳守、信賞必罰の趣旨を強調していた」のである。
更に、被上告人の本件犯行があつて、警察に身柄が引渡されてから「数日を出ないうちに、原告の犯行および逮捕の事実が噂となつて広まり」、そのために上告会社の従業員のうちには差恥不快の感を味わつたものがいることは原判決の認定するところであつて、このようなことは、従業員の作業意欲を高めることを緊要事としていた当時の上告会社にとつては大きなマイナスであるばかりでなく、地域住民の上告会社またはその従業員一般に対する信用を毀損したものというべきである。
叙上の点を考慮すれば、被上告人の本件行為は「会社の体面を著しく汚した」ものと評価されても止むをえないところである。
(ロ) 多数意見は更に「被上告人の受けた刑罰が罰金二、五〇〇円の程度に止まつたこと」、「被上告人の職務上の地位も蒸熱作業担当の工員ということで指導的なものではないこと」を理由として挙げられるが、同じく二、五〇〇円程度の軽い刑罰に当たる犯罪でも、被上告人の犯した本件破廉恥罪と、破廉恥罪とはいえない犯行とでは懲戒に関する規定の適用にあたつては、職場規律の維持のうえからいつて同様には論ずることができない。また、被上告人の職務上の地位が工員であつて会社で指導的なものではないという理由にいたつては企業が人と人との結合による集合体であり、経営協同秩序を形成しているものであることの人的要素を軽視したものとしか考えられず、採るに足りない。
その他、多数意見が述べるような「原判示の諸事情」をみても、わたくしとしては到底納得することができない。
四、これを要するに、本件犯罪の性質、上告会社の事業の性質、同社の当時の営業状況、同社の当時の方針、本件犯行に対する世間の風評等を仔細に勘案すれば、上告会社が賞罰委員会の決議に基づいて、被上告人に対して、本件解雇の措置に出たことは、けだし、相当であるというべきである。
この点に関する上告論旨は理由があり、原判決は破棄を免れず、被上告人の本訴請求中第一審判決において認容された部分は棄却すべきものと考える。(松本正雄 田中二郎 下村三郎 飯村義美 関根小郷)